表の肖像は、英国の詩人アレクサンダー・ポープ(1688年-1744年)。
詩作の他、ホメロスの「イリアス」や「オデッセイア」の英訳や、シェイクスピア全集の出版をした英国を代表する詩人です。
裏には、ラテン語で、POETA ANGLUS (English poet、英国詩人)、M・DCC・XLI(1741年) と書かれています。
Mは1000。
Dは500、Cは100なので、DCCは500+100+100=700。
Xは10、Lは50、Iは1で、XはLの左にありマイナス10なので、-10+50+1=41。
従って、製作年は1000+700+41=1741年となります。
製作者は、スイス・ジュネーブ出身のジャック-アントワーヌ・ダシエール(Jacques-Antoine Dassier )。
肖像の右側に、I. A. DASSIER F. とサインがあります。
尚、英国では、James Anthony Dassier という名前で活動していたようです。
1715年生まれなので、26歳の時にこのメダルを製作したことになります。
直径は54mm。
大型といわれるクラウン銀貨の直径が38mmですから、その1.4倍あり、面積でいうと約2倍ですから、かなりの大きさで迫力があります。
このメダルは、ジャック-アントワーヌ・ダシエールが1740年から1744年にかけて製作した16枚の「ロンドン・シリーズ」の中の1枚です。
このメダルは、同じものが大英博物館にも所蔵されています。
https://www.britishmuseum.org/research/collection_online/collection_object_details.aspx?objectId=950074&partId=1&people=54079&peoA=54079-2-32&page=1
そしてその所蔵されているメダルは、英国国王ジョージ4世によって1825年に大英博物館に寄贈されたもので、その前所有者はジョージ3世だったとのこと。
自分が所有するメダルと同じ物が大英博物館にもあり、ジョージ3世やジョージ4世が関わっていたと思うと、何だかゾクゾクします。
また、このメダルは、1885年に発行された
Medallic illustrations of the history of Great Britain and Ireland to the death of George II, vol.II
で紹介されています。
P558、P559
これによると、当初の提案では16枚ではなく、13枚のメダル製作を予定していたようです。
そして、13枚のメダルのセットでの申し込み金額は4ギニーで、一枚売りの価格は7シリング6ペンスだったとのこと。
また、メダルの金型はロンドンで彫られましたが、鋳造は海外(ジュネーブ)で行われたようです。
P565、P566
このメダルの珍しさについては、Not uncommon とありますから、1885年当時は「珍しくはない」ものだったのでしょう。
一体、何枚ぐらい製造されたのか気になります。
P723
ダシエールは、1715年ジュネーブ生まれ、ローマ、ロンドン、セントペテルスブルグで活動しています。
1740年にロンドンに移動、翌年王立造幣局で彫刻師助手となり、1745年にジュネーブに戻っています。
尚、1780年にコペンハーゲンに移動中に亡くなったと書かれていますが、ウィキペディアでは1759年死亡となっています。
さて、最後になりますが、アレクサンダー・ポープ、、、どこかで聞いた名前だと思って調べたところ、何とダン・ブラウンの小説「ダビンチコード」に出てきていました。
主人公のラングドン教授が謎解きをする中で、
In London lies a knight a Pope interred.
という文章が出てきます。
当初、a Pope(ローマ教皇)が埋葬した騎士がロンドンに眠る、と解釈してその墓地をさがしたのですが、
実は a Popeは「ローマ教皇」ではなくA. Pope で、実はこのAlexander Popeのことだったと分かり、ニュートンの墓にたどり着くというものでした。
コインやメダルについて調べていると、様々なことが結びついてきて、本当に世界が広がります。
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