その地域は現在のガイアナ共和国の一部で、17世紀にオランダの植民地になった後、英国、フランス、オランダなど目まぐるしく領有が変わり、最終的に英領ギアナとなったところです。
表は、月桂冠を頂いた右向きのジョージ3世の胸像です。
周りには、GEORGIUS III.D:G.REX. (George III, by the Grace of God, King)の銘が刻まれています。
尚、この銅貨のジョージのラテン語表記は、GEORGIUS と「U」が使われていますが、他の硬貨では GEORGIVS と「V」となっているものもあります。
これはラテン語では元々「U」と「V」が同じ字だったことによるようです。
因みに、ガイアナ共和国の首都であるジョージタウンという名前は、このジョージ3世から付けられました。
この銅貨のギザギザの縁を見て下さい。
厚みが3mmもあります。
直径は33mm、重さは18.75g。
結構、重みもあります。
裏は、王冠とリースの真ん中に ONE STIVERの金額、下に1813の年があり、周りには、
COLONIES OF ESSEQUEBO & DEMARARY TOKEN と刻まれています。
聞きなれない言葉が並んでいますが、これらを理解するためにはこの地域の歴史を簡単に理解する必要があります。
現ガイアナの簡単な歴史
分かりやすくするために、上記を4つの期に分けてみました。
第 I 期 オランダ植民地建設期
17世紀から18世紀(1616年~1752年)にかけて、オランダがエスキーポ、バービス、デメララの3つの植民地を建設。
第 II 期 米国独立戦争、英仏戦争期
米国独立戦争(1775年~1783年)、英仏戦争(1778年~1783年)時に、米国側に協力的だったオランダの植民地を英国が占領したが、パリ条約でオランダに返還。
第 III 期 ナポレオン戦争期
ナポレオン戦争(1799年~1815年)時に、英国が占領後、アミアン講和条約で一旦オランダに返還したが、翌年英国が再占領。
第 IV 期 英領ギアナ植民地建設期
1815年に正式にオランダから英国に分離され、1831年に英領ギアナ植民地を建設。
ONE STIVER
上記歴史の通り、この地域は元々オランダによって植民地が建設されました。
その後、領有がしばしば変わりましたが、英国が支配していた間も、1809年から1835年まで貨幣は古いオランダの貨幣単位で発行されていたことになります。
1ギルダー(guilder)が、20スタイバー(stiver)。
つまり、1スタイバー(stiver)=1/20ギルダー(guilder)です。
尚、ギルダーguilder は英語で、オランダ語ではグルデンgulden、英語のスタイバーstiverは、オランダ語ではステュワイバーstuiverというとのこと。
1813年
この銅貨は、1813年に鋳造されています。
ここでもう一度年表を見て下さい。
エスキーポ植民地とデメララ植民地が統合され、デメララ・エスキーポ植民地となったのは、1814年。
つまり、この銅貨は、2つの植民地が統合される前年に鋳造されたことになります。
そういう目でもう一度この銅貨を眺めてみると、あら不思議。
COLONIES OF ESSEQUEBO & DEMARARY TOKEN
ちゃんと植民地が、COLONIESと複数形になっているではありませんか。
この銅貨は、2つの別々の植民地用に鋳造されていたことが分かります。
念のため、統合後の1816年に鋳造されたギルダー銀貨について調べたところ、
UNITED COLONY OF DEMERARY & ESSEQUIBO
と、単数形の植民地になっていました。
中々しっかりしています。
尚、なぜエスキーボとデメララの順序が逆になったのかについては分かりませんでした。
エスキーボとデメララの綴りについて
ここまで読んできて、エスキーボやデメララの綴りが微妙に違っていることに気づいたり、なぜDEMERARYがデメラリーではなくデメララなのだろうと思ったりしている人もいるかもしれません。
中々鋭いです。
1.エスキーボ
まずエスキーボですが、
オランダ語ではESSEQUEBOと綴りますが、英語ではESSEQUIBOと綴るそうです。
「E」と「I」の違いがあります。
そして、ここで注目したいのが、正式にオランダから英国に分離された年です。
1815年。
確かに、そういう目で見ると、1813年に鋳造されたこの銅貨はESSEQUEBOとオランダ語綴りで、正式分離後の1816年に鋳造されたギルダー銀貨はESSEQUIBOと英語綴りに変わっています。
中々律儀です。
2.デメララ
次にデメララですが、
オランダ語ではDEMERARYと綴りますが、英語ではDEMERARAと綴られます。
それで、日本語ではデメララと表記されている訳です。
そして、こちらもエスキーボと同じように、、、と思いきや、そうは問屋が卸しませんでした。
英語の綴りのDEMERARAは、正式分離後どころか、どちらの硬貨にも使われていません。
それでは、両方ともオランダ語綴りかと思いきや、
1813年の銅貨ではDEMARARY、1816年の銀貨ではDEMERARYと異なった綴りが使われています。
これでは「デメララ」ではなく「デタラメ」(出鱈目)です。
冗談はさておき、1809年に鋳造された銀貨について調べたところ、全てDEMARARYが使われていました。
ということで、その理由は不明ですが、1815年の正式分離以前はDEMARARYが使われ、正式分離後はDEMERARYが使われたようです。
TOKEN
TOKENとは、代用貨幣という意味です。
通常、トークンというとゲームコーナーなどの特別な場所でしか使えない私的なメダルというイメージがありますが、このような銅貨にも使われるということで、ちょっと驚きました。
これについても、1815年の正式分離の前後で調べたところ、分離前の銅貨・銀貨ではTOKENという言葉が使われているのに対して、分離後の銀貨では使われていませんでした。
従って、正式分離前は代用貨幣、正式分離後は正式貨幣という認識があったのかもしれません。
以上、英領エスキーボ植民地とデメララ植民地の1スタイバー銅貨について紹介しましたが、この銅貨を入手するまで全く知らないことばかりでした。
スペイン語やポルトガル語が幅を利かせる南米で、現在のガイアナ共和国は唯一英語が公用語の国だということも初めて知りました。
コインは眺めて良し、また調べて良し。
これがコイン収集の醍醐味です。
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