2020年4月2日木曜日

英国 ジョージ1世 1シリング銀貨 1723年

今回は、1723年に英国で鋳造された1シリング銀貨を紹介します。

1723年といえば、日本の暦では享保8年にあたり、暴れん坊将軍でお馴染みの八代将軍徳川吉宗の時代です。

そして、英国ではハノーバー朝開祖のジョージ1世の治世(1714-1727) でした。



アン女王ご崩御後、カトリックの国王を避けるために、英国がドイツから国王を迎えるとは、何とヨーロッパはインターナショナルなことでしょうか。

また、ドイツ生まれで54歳で即位したジョージ1世はドイツ語しか話さ(せ?)ず、政治はウォルポールにお任せだったとのこと。

「君臨すれども統治せず」

そう学校で習い、その言葉にどこか高尚な響きを感じていた私ですが、その理由が英語が話せなかったからとは!

色々面白いです。

銀の含有率が92.5%のスターリングシルバーで作られており、重さは6.02g、直径は26mmあります。






























表は、右向きのジョージ1世の肖像が描かれています。

ジョージ1世の肖像は2種類あり、

第1肖像は、1715年ー1723年、

第2肖像は、1723年ー1727年

に使われました。

この銀貨は、1723年と丁度端境期に作られたものですが、前者の肖像です。

周りの銘はラテン語で、GEORGIVS・DG・M・BR・FR・ET・HIB・REX・F・D と記されています。

英語にすると、George, by the Grace of God, King of Great Britain, France and Ireland, Defender of the Faith。

日本語では、ジョージ(1世)、神の恩寵によって、グレートブリテン、フランス、およびアイルランド国王、信仰の擁護者、でしょうか。

GEORGIVSは、ジョージでジョージ1世とは書かれていません。

言ってみれば、ルパン3世のおじいさんがただのルパンで、ルパン1世とは名乗っていなかったのと同じような感覚でしょうか。

M・BRは、Magna Britanniaの略で、グレートブリテン。

ただのブリテンではなくグレートブリテンなのは、1707年の合同法でイングランドとスコットランドの議会が統一されて、合併されグレートになったからかもしれません。

FRは、フランス。

なんでフランス?という話は、また別の機会にしたいと思います。

そして(因みに、ETはフランス語と同じでand)、HIBはHiberniaの略で、アイルランドのことです。

REXは、国王。

F・DはFidei Defensorの略で、Defender of the Faith、信仰の擁護者の意です。

彫刻師は、ドイツ・ザクセン生まれのJohn Croker (1670-1741) です。







裏は、中央にガータースター、その上下左右にジョージ1世の紋章が配されています。

上:左側はイングランドを表す3頭のライオン、右側はスコットランドを表す1頭のライオン

右:フランスを表す3つの百合の花

下:アイルランドを表すハープ

左:ハノーバー家の家紋

そして、この4つの紋章の間に、SSとCが斜めに2つずつ配されています。

このSSとCは、1711年に設立されたthe South Sea Company (SSC) 南洋会社のことで、このSSとCのデザインは1723年のみ使われました。

この1723年の銀貨は、1722年に南洋会社がインドネシアで発見した銀を持ち帰って鋳造されたとのことです。
(南洋会社の担当区域はカリブ海や南アメリカ方面で、アジアの担当は東インド会社だったのではないかと思うので、なぜインドネシアで銀を発見したのかについては、別途調べてみたいと思います。)

周りの銘はラテン語で、BRVN ET・D VX S・R・I・A: TH ET・EL ・1723・と記されています。

英語では、Duke of Brunswick and Lueneburg, Arch Treasurer and Prince Elector of the Holy Roman Empire。

日本語にすると、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公爵、神聖ローマ帝国財貨長官、及び、選帝侯、となります。

彫刻師は、スイス・ベルン生まれのJohann Ochs (1673-1749)です。

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国名英国
金額1シリング
発行年1723年
発行枚数不明
統治者ジョージ1世(在位1714-1727)
硬貨タイプ標準流通貨
材質銀(.925)
重量6.02g
直径26mm
参照番号KM#539.3, Sp#3647

2020年3月20日金曜日

4.なぜジョージ4世以降の銅貨の銘はBRITANNIAではなくBRITANNIARと最後にRがつくのか(まとめ編)

今回は、まとめ編です。

これまでの経緯は、以下を参照して下さい。

⇒ 1.なぜウィリアム4世以降の銅貨の銘はBRITANNIAではなくBRITANNIARと最後にRがつくのか(照会編)

⇒ 2.なぜジョージ4世以降の銅貨の銘はBRITANNIAではなくBRITANNIARと最後にRがつくのか(回答編1)

⇒ 3.なぜジョージ4世以降の銅貨の銘はBRITANNIAではなくBRITANNIARと最後にRがつくのか(回答編2)

<疑問>

「なぜジョージ4世以降の銅貨の銘は、BRITANNIAではなくBRITANNIARと最後にRがつくのか」

<回答>

ジョージ3世まで使われていたBRITANNIAはラテン語で、英語のBritain、つまり英国を表しているとのことです。

このブリタニアは国名であって、中央に描かれている女神とは違い、英国を擬人化したブリタニア女神のことではないとのこと。

一方、ジョージ4世以降に使われているBRITANNIARもラテン語だが、上記BRITANNIAの複数形の所有格であるBRITANNIARUMの略語であるとのこと。

その意味するところは、英語で of the British territories。

そして、コロン(:)の後のREX(国王)またはREG(REGINAの略、女王)とセットで、

BRITANNIAR: REX = king of the British territories (英国領の国王)、または、

BRITANNIAR: REG = queen of the British territories(英国領の女王)を表している。

ここでいうBritish territories(英国領)とは、イングランドとスコットランドのあるブリテン島と、アイルランド島、及び周辺の島々のことで、いわゆる海外の植民地のことではないとのことでした。


<銘の変更理由>

銘が変更された理由としては、1801年にグレートブリテン王国(イングランドとスコットランドの連合王国)が、それまで植民地だったアイルランド王国と連合したのが理由ではないかと提起。

それによって、British territories(英国領)と複数形に変わったのではないか、と。

この推測について、大英博物館に問い合わせたところ、明確な答えは得られませんでした。

ただし、アイルランドとの関連でいうと、アイルランドは古来 Hibernia と呼ばれ、Britannia とは別の名前であった、と付け加えてくれました。

If there is a connection with Ireland it may be because Ireland is traditionally represented by Hibernia, not Britannia, but this is just supposition on my part. Evidence for the change might be in one of the coinage acts, which are in Hansard in the National Archives. Or the Royal Mint Museum may know.

また、大英博物館の方との遣り取りを通じて、最終的な解決には、銅貨の銘だけでなく、金貨、銀貨の銘を含めた総合的な考察が必要だということが分かりました。

ということで、とりあえず一旦ここで中締めとさせていただきます。

最後に、今回の探求では、ビクトリア&アルバート博物館と大英博物館の学芸員の方に大変お世話になりました。

熱く御礼申し上げます。

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2020年3月1日日曜日

3.なぜジョージ4世以降の銅貨の銘はBRITANNIAではなくBRITANNIARと最後にRがつくのか(回答編2)

前回、BRITANNIARとは、英語の「British territories(英国領土)の」を表すラテン語のBRITANNIARUMの略語であると分かったという話を紹介しました。

⇒ 「2.なぜジョージ4世以降の銅貨の銘はBRITANNIAではなくBRITANNIARと最後にRがつくのか(回答編1)」

そして、最後に「British territories(英国領土)とは具体的にどこを指すのでしょうか?」と疑問を提起しました。

それに対する回答が、ビクトリア&アルバート博物館から来たので紹介したいと思います。

結論から言うと、British territories(英国領土)とは、イングランドやスコットランドのあるブリテン島と、その隣りのアイルランド島、及び周辺の島々を表す、ブリテン諸島 British Isles (Islands) を指すとのことでした。

そして、海外の植民地は含まれないとのこと。

私は、territories(領土)と聞いたときに、「領土」という語感から、海外の植民地を指すと勝手に思い込んだのですが、そうではなかったということです。

('British territories' are the British Isles' (and not overseas colonies). )

では、なぜジョージ3世までは単数形のBRITANNIA(Britain)が使われ、ジョージ4世からは複数形のBRITANNIAR(of the British territories)が使われるようになったのでしょうか。

考えられるのは、1801年のアイルランドの併合です。

それまで、アイルランド王国は、グレートブリテン王国(イングランドとスコットランドの連合)の植民地でした。

それが、1800年の連合法によって、1801年にグレートブリテン及びアイルランド連合王国となったのです。

それが理由で、British territories(英国領土)と複数形に変わったのではないでしょうか。

ただし、これはまだ私の推測です。

ということで、確認するために、今度は大英博物館に以下の通り照会してみました。

(ビクトリア&アルバート博物館から、更なる質問は大英博物館の方がよいとの示唆を受けたためです。)

Someone told me that BRITANNIARUM is the Latin possessive plural form of BRITANNIA, which means 'of the British territories' or 'of the British Islands'. Is it possible to suppose that the reason why they didn't use single word 'BRITANNIA' any more but used plural word 'BRITANNIARUM' is because since 1801 Ireland had become part of United Kingdom of Great Britain AND Ireland, two, more than one, territories/Islands?

因みに、ジョージ3世の治世は、1760年から1820年までです。

1801年は、その途中ということになります。

そして、1801年以降に作られたジョージ3世の金貨で、BRITANNIAR(UM)が使われているものがあります。

一方、ジョージ3世の銅貨では、1801年以降でも、BRITANNIAが使われています。


金貨と銅貨で対応が異なる件については、また別途検討ということで。

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2020年2月28日金曜日

2.なぜジョージ4世以降の銅貨の銘はBRITANNIAではなくBRITANNIARと最後にRがつくのか(回答編1)

前回、英国の一部の銅貨で使われている「ブリタニア」のスペルについて、英国の博物館に照会したことを紹介しました。

⇒ 1.なぜウィリアム4世以降の銅貨の銘はBRITANNIAではなくBRITANNIARと最後にRがつくのか(照会編)

すると、早速、ビクトリア&アルバート博物館のメタルワーク部門の方から回答をいただいたので紹介したいと思います。


1.BRITANNIARが使われ始めた時期について


添付されていた資料によると、BRITANNIARは、ジョージ4世の銅貨から使われるようになったようです。

その前のジョージ3世までは、BRITTANIAが使われていました。

ここで、題名の微妙な変化に気づかれた方もいるかと思います。

照会編では「なぜウィリアム4世以降・・・」だったのが、この回答編1では「なぜジョージ4世以降・・・」に変わっています。

これは私のコレクションがまだ小さく、ジョージ4世の銅貨がなかったことに起因しています。

博物館の方に教えてもらえて良かったです。


2.BRITANNIAとBRITANNIARの違いについて


まずはBRITANNIAから。

これはラテン語の単語で、英語のBritainのこと。

つまり、英国を擬人化した象徴であるブリタニア女神ではなく、国名のブリテンを表していました。

次に、BRITANNIAR。

(ラテン語の文法用語が出てくるので心して下さい)

これはラテン語で、BRITANNIAの複数形の所有格の略語である(!)とのこと。

複数形の所有格は、BRITANNIARUM。

その略語が、BRITANNIARとのことです。

よく見ると略を表すであろうコロン(:)がついていて、BRITANNIAR:となっています。

英語にすると、of the British territories。

また、BRITANNIAR:の後には、王を表すREX、または女王を表すREGが続いています。

つまり、BRITANNIAR: REXは、king of the British territories。

そして、BRITANNIAR: REGは、queen of the British territoriesとなります。


以下は、ビクトリア&アルバート博物館のメタルワーク部門の方からの回答メールです。

Many thanks for your enquiry. The 'R' to which you refer can appar at the end of coins minted under Victoria's predecessors, as well. See for example the first entry on the Royal Mint Museum blog here:

http://www.royalmintmuseum.org.uk/Blog

and transcriptions of the inscriptions on coins here:

http://www.psdetecting.com/Inscriptions-Milled.html

'BRITANNIAR' is an abbreviation of the Latin possessive plural form of the word 'Britannia', which would be 'BRITANNIARUM'.

It means 'of the British territories'.

I hope this helps.

Kind regards,

Metalwork Enquiries


3.更なる疑問


ここで更なる疑問が出てきます。

(1)British territories(英国領土)とは具体的にどこを指すのでしょうか?

(2)ジョージ3世時代でも海外に植民地を所有していたにもかかわらず、なぜジョージ4世の時代から複数を表すBRITANNIARが使われ始めたのでしょうか?

ということで、以下の通り再照会メールを送ってみました。

回答をもらえるよう祈りたいと思います。


Dear Sir/Madam,

Thank you very much for your wonderful information and explanation, which is easy to understand and very helpful.

May I ask you two more related questions, please?

According to the second attachment, 'Britannia' was used until the George III reign and 'Britanniar' (Rex or Reg) started to be used from the George IV time.

1. Why did they start to use 'British territories' instead of 'Britain' from the George IV reign even though Britain had already possessed a lot of territories (colonies) abroad before George IV?

2. When 'Britanniar' was used for 'of the British territories, which territories did they specifically mean?

Thank you again for your cooperation.

Best regards,

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1.なぜウィリアム4世以降の銅貨の銘はBRITANNIAではなくBRITANNIARと最後にRがつくのか(照会編)

英国の銅貨の中には、英国を擬人化した象徴として、ブリタニア女神が描かれているものがあります。

そして、女神が描かれているだけでなく、以下のように「ブリタニア」と銘にも記されているものもあります。

今回は、その「ブリタニア」のスペルについての疑問について(照会編)です。

疑問とは、題名の通り、

「なぜウィリアム4世以降の銅貨の銘は、BRITANNIAではなくBRITANNIARと最後にRがつくのか」

というものです。


<BRITANNIA>


裏(右側)の銘をご覧下さい。

例えば、1697年のウィリアム3世のハーフペニー銅貨では、通常一般にも使われているBRITANNIAというスペルが使われています。



1754年のジョージ2世のファージング銅貨でも、BRITANNIA。



そして、1797年のジョージ3世の2ペンス銅貨でも、同様にBRITANNIAです。




<BRITANNIAR>


ところが、1834年のウィリアム4世のファージング銅貨では、そのスペルがBRITANNIARに変わっています。

BRITANNIAにRが追加されているのです。



また、1853年のビクトリア女王のファージング銅貨でも、同様です。



この違いは何なのでしょうか。

大抵の疑問はインターネットで解決できる21世紀の世の中なので、BRITANNIARという単語で検索してみました。

ところが、ひとつもヒットしません。

ヒットしないのであれば、調べようもありません。

途方に暮れてしまいました。

ということで、思い切って英国にある博物館など3ヶ所に、以下の照会メールを送ってみました。

果たして、返事をくれるのか。

そもそもメールで照会するほどの疑問なのか。

そんな弱気な気持ちもありました。

しかし、人生は短いのです。

何事も当たって砕けろということで、照会中です。

気長に待ってみることにします。


Dear Sir/Madam,

I would like to ask you about 'BRITANNIAR' with an 'R' at the end of the word in some Victorian coin legend.

It is said that a national personification of the United Kingdom is BRITANNIA. But on some Victorian coins, the legend reads 'BRITANNIAR' instead of 'BRITANNIA.'

I would appreciate it if you would tell me the difference between BRITANNIA and BRITANNIAR, and why BRITANNIAR is used on the Victorian coins.

Thank you for your cooperation and look forward to hearing from you.


(注:メール照会をした時点では、ウィリアム4世の銘にもBRITANNIARという単語が使われていると気づいていなかったので、「ビクトリア時代」と書かれています)

拝啓

ビクトリア時代の硬貨の銘に使われている、最後にRがついているBRITANNIARという単語について教えて下さい。

英国で擬人化された象徴はBRITANNIAと言われていますが、ビクトリア時代の硬貨にはBRITANNIAの代わりにBRITANNIARが使われているものがあります。

BRITANNIAとBRITANNIARの違いは何でしょうか。

また、なぜビクトリア時代の硬貨ではBRITANNIARという単語が使われているのか、教えていただけると光栄です。

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2020年2月25日火曜日

英国 ビクトリア女王 ハーフペニー銅貨 1853年


1853年に英国で鋳造されたハーフペニー銅貨を紹介します。

この銅貨を購入した際には、コインホルダーに下記のラベルが挿入されていました。

前の持ち主は、この銅貨をウェリントンにあるJohn Bertrand (Collectables) Ltd.で購入したようです。

(因みに、John Bertrand (Collectables) Ltd.は、ニュージーランドのコインのカタログを毎年作っている会社です。)

グレードはVF(Very Fine=日本の「美品」)となっています。

購入価格16USドルとのことですが、いつ頃購入したのかちょっとだけ気になります。























表は、左を向いた初々しい18歳の時のビクトリア女王の肖像が描かれています。

3種類ある肖像、

1.Young Head (1839-1860)

2.Bun Head (1860-1894)

3.Old Veiled Head (1895-1901)

の内、1番目の Young Head の肖像です。

銘は、VICTORIA DEI GRATIA (Victoria by the Grace of God、ビクトリア 神の恩寵により)。

彫刻師は、William Wyon (1795-1851) です。

「1853」の斜め上の首元に、「W.W.」のイニシャルがありますが、見えますでしょうか。























裏は、右向きに着座したブリタニアが描かれています。

左手でトライデント(三つ叉)を持ち、右手はユニオン旗の描かれた盾に触れています。

銘は、BRITANNIAR: REG: FID: DEF: (Queen of the Britain Defender of the Faith、英国の女王にして信教擁護者)。

そして、下部には次の3つの国花が描かれています。

左は、アイルランドの国花であるシャムロック(三つ葉のクローバー)。

中央は、イングランドの国花であるチューダー・ローズ(バラ)。

右は、スコットランドの国花であるアザミ。

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国名英国
金額ハーフペニー
発行年1853年
統治者ヴィクトリア女王(1837-1901)
硬貨タイプ標準流通貨
材質
重量9.45g
直径28mm
厚さ2.12mm
鋳造数1,559,000
鋳造場所英国ロンドン
参照番号KM#726, Sp#3949

2020年2月23日日曜日

英国 ビクトリア女王 サード・ファージング銅貨 1844年

今回は、1844年に英国で鋳造されたサード・ファージング銅貨について紹介します。



ファージングは、4分の1ペニー。

サードは、3分の1。

従って、サード・ファージングは1/4x1/3=1/12=12分の1ペニー。

最初のサード・ファージング銅貨は、ジョージ4世治世の1827年に、地中海のマルタで使用するために作られたそうです。

マルタは、ナポレオン戦争後の1815年に、ウィーン会議で英国の領有となっています。

その結果、1ファージングがマルタの3グラニ(grani=granoの複数形)として流通していました。

そして、1グラノ(grano)相当額として、1827年にサード・ファージング銅貨が作られたという経緯があったそうです。

因みに、前回紹介したハーフ・ファージング銅貨は、セイロンでの導入後英国本土でも法定通貨となりましたが、サード・ファージング銅貨はその後も英国本土で法定通貨とはならなかったとのことです。



表は、左向きの「ヤングヘッド」のビクトリア女王の肖像です。

銘は、、、目を細めてよーく、、、見ても分かりませんが、VICTORIA DEI GRATIA 1844 と記されているはずです。

何故1844年と断定できるのか?

目を細めてよーく見ると、一番右の数字が4に見えるでしょ?

というだけでなく、明確な理由があるのです。

何と、「ヤングヘッド」のサード・ファージング銅貨は、1844年にしか作られていなかったのです。

ありがたいことです。



裏は、右向きに座った、お馴染みのビクトリアが描かれています。

銘は、BRITANNIAR: REG: FID: DEF: (Queen of Britain, Defender of the Faith)。

(1866年以降に作られたものには、中央にTHIRD FARTHING と書かれているのですが、1844年のものには額面は記されておらず、従って金額は大きさで判断するしかありません)

一番下には、3つの国花が描かれています。

かなり見づらいですが、

左が、アイルランド国花のシャムロック、

中央が、イングランド国花のチューダーローズ、そして、

右が、スコットランド国花のアザミです。

アザミはこの写真でもよく分かります。

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国名英国
金額サード・ファージング
発行年1844年
統治者ヴィクトリア女王(1837-1901)
硬貨タイプ標準流通貨
材質
重量1.57g
直径16mm
鋳造数1,301,040
鋳造場所英国ロンドン
参照番号KM#743, Sp#3952


2020年2月22日土曜日

英国 ビクトリア女王 ハーフ・ファージング銅貨 1844年

今回は、1844年に英国で鋳造されたハーフ・ファージング銅貨を紹介します。



ファージングは、4分の1ペニー。

ハーフ・ファージングは、そのまた2分の1なので、8分の1ペニーということになります。

こんな額面の硬貨があったとは知りませんでした。

一番最初のハーフ・ファージングは、ジョージ4世治世の1828年にセイロンで使用するために作られたとのことです。

そして、ビクトリア女王治世の1842年には英国本国においても法定通貨とされ、断続的に1856年まで発行されました。

想像通り、この銅貨はとても小さく、直径は18mmしかありません。

下の写真を見て下さい。

左が直径22mmのファージング銅貨、中央がこの直径18mmのハーフ・ファージング銅貨、そして右が直径16mmのサード・ファージング銅貨(サードは3分の1)です。

(左から、ファージング、ハーフ・ファージング、サード・ファージング)




ファージング銅貨でさえ十分に小さいのに、それよりも小さいのです。

裏(左から、ファージング、ハーフ・ファージング、サード・ファージング)




因みに、重さは見事に額面に比例しています。

ファージング銅貨の重さは4.72g、ハーフ・ファージング銅貨がその半分の2.36g、そして3分の1ファージングのサード・ファージング銅貨は3分の1の1.57gです。

それでは、デザインを見てみましょう。




表は、左向き、「ヤングヘッド」のビクトリア女王の肖像が描かれています。

銘は、VICTORIA D:G: BRITANNIAR: REGINA F:D: (Victoria by the Grace of God, Queen of the Britons, Defender of the Faith)。

彫刻師は、William Wyon (1795-1851)。























裏は、一番上が王冠。

次に、HALF FARTHING 1844、

そして、一番下には、以下の3つの国花が描かれています。

左が、スコットランドの国花であるアザミ。

中央が、イングランドの国花であるチューダーローズ。

そして、右が、アイルランドの国花であるシャムロックです。

3国の国花が描かれている他の硬貨とは違い、左右の国花が逆になっているのは何故なのでしょうか。

気になるところです。

尚、英国本土で法定通貨となる以前に作られた、1839年のハーフ・ファージング銅貨では、イングランド国花のチューダーローズだけが描かれていたとのことです。

もしも英国本国で法定通貨になった後で、イングランド国花のチューダーローズしか描かれていない銅貨を発行していたら、スコットランド、アイルランドの人々が黙っていなかったのかもしれません。

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国名英国
金額ハーフ・ファージング
発行年1844年
統治者ヴィクトリア女王(1837-1901)
硬貨タイプ標準流通貨
材質
重量2.36g
直径18mm
鋳造数6,451,000
鋳造場所英国ロンドン
参照番号KM#738, Sp#3951

2020年2月19日水曜日

英国 ウィリアム3世 ハーフペニー銅貨 1697年

今回は、英国(正確にはイングランド)で1697年に鋳造されたハーフペニー銅貨を紹介します。

見ての通り、320年以上も前の銅貨ということもあり、かなり磨耗しています。

しかし、それも味というものです。

まずは歴史のおさらいから。

1688年から1689年にかけて、イングランドでは名誉革命が起きました。

その結果、時の国王であるジェームス2世が追放され、1689年にジェームス2世の娘であるメアリー2世と、その配偶者であるウィリアム3世がイングランドの王位につきました(共同統治)。

そして、1694年のメアリー2世崩御後は、このウィリアム3世が1702年まで単独の国王となっています。

この銅貨は、その時期のものです。

「名誉」革命とは言うものの、ジェームス2世に男子が生まれた際に、このままでは再びカトリック教徒の国王が即位してしまうため、それを阻止すべく議会がプロテスタントのメアリー2世を担ぎ上げたり、

フランスのルイ14世に侵略されそうになっているオランダを救うべく、オランダのオレンジ公ウィリアムがイングランドの王になろうとしたりと、

あまり他の国の王室についてあれこれ言いたくはありませんが、イングランドの国王もかなり恣意的なもののようです。

というようなことを踏まえつつ、このハーフペニー銅貨を見てみましょう。

表は、月桂冠を被り、胴よろいを着た右向きのウィリアム3世の肖像です。

銘は、右側がほとんど消えかかっていますが、GVLIELMVS TERTIVS (William the Third)。

GVLIELMVS グリエルムス とはラテン語のウィリアムで、TERTIVS はラテン語の第3の、3世を表すとのことです。

裏は、左向きに座ったブリタニアが大きく描かれています。

右手にはオリーブの枝、左手で槍を抱え、左側にはユニオン旗の盾があります。

銘は、ブリタニアの左右に BRITAN NIA、下に1697 と記されています。

彫刻師は、John Roettier (1631-1703)。

2020年2月現在、この銅貨は私が所有する最も古い硬貨です。

また、このハーフペニー銅貨のお陰で、久々に昔高校で習った「名誉革命」や「オレンジ公ウィリアム」などといった歴史用語に再会することができました。

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国名イングランド(英国)
金額ハーフ・ペニー
発行年1697年
統治者ウィリアム3世(1689-1702)
硬貨タイプ標準流通貨
材質
重量10.8g
直径28.5mm
鋳造数不明
鋳造場所英国ロンドン
参照番号KM#A4831, Sp#3554

2020年2月16日日曜日

英領インド ビクトリア女王 (女帝) 1ルピー銀貨 1889年

今回は、1889年に英領インド帝国で鋳造された1ルピー銀貨を紹介します。



英領インド帝国は、1858年に英国王室が東インド会社から統治権を譲渡されたことによって成立しました。


表は、王冠を被った左向きのビクトリア女王が描かれています。


銘は、VICTORIA EMPRESS。


1877年にインド帝国は、英国の君主がインド皇帝を兼ねる同君連合となり、それまでQUEENと書かれていたものがEMPRESSに変更されました。


1862年-1876年 QUEEN


1877年-1901年 EMPRESS


従って、上記で左向きのビクトリア「女王」と書きましたが、正確にはビクトリア「女帝」と書くべきかもしれません。


彫刻師は、William Wyon (1795-1851) です。



裏は、中央に、ONE RUPEE, INDIA, 1889と、金額、国名、年が記載され、


その周りに、花のリースが描かれています。


下方で並んでいる2つの花は、英国の国花であるバラ(チューダーローズ)でしょうか。


その他の花は、インドの国花が蓮なので蓮なのかなとも思ったのですが、葉がどう見ても蓮の葉には見えません。


因みに、時代が下った1918年の1ルピー銀貨の花のリースは以下の通りです。


一番上の花が横から見た蓮で、一番下の花が上から見た蓮です。


また、その他の花も、チューダーローズ(イングランドの国花)、シャムロック(アイルランドの国花)、アザミ(スコットランドの国花)と、より英国色が鮮明になっています。



1889年の1ルピー銀貨は、ボンベイとカルカッタの2ヶ所で鋳造されていました。


この1ルピー銀貨は、ボンベイ鋳造です。


ONE の上に、ボンベイ造幣局を表す B のミントマークが見えます。



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国名英領インド
金額1ルピー
発行年1889年
統治者ヴィクトリア女王(1837-1901)
硬貨タイプ標準流通貨
材質銀(.917)
重量11.66g
直径30.79mm
鋳造数65,300,000(ボンベイ造幣局)
鋳造場所ボンベイ造幣局
参照番号KM#492

英国 エドワード7世 1ペニー銅貨 1910年

1910年に英国で発行された1ペニー銅貨を紹介します。 1910年は、エドワード7世の在位中(1901年ー1910年)最後の年に当たります。 エドワード7世はビクトリア女王の長男。 ビクトリア女王の治世が長かったせいで、即位したのは59歳の時だったとか。 若かりし頃の紅顔の...